ドイツ有力経済紙Handelsblattの特集記事よりキーポイントを日本語化

「世界で一番怖い経済学者」が時代の寵児に

英タイムズ紙はMariana Mazzucato教授を「世界で一番怖い経済学者」と称した。イタリア生まれ米国育ちの経済学者で、現在は英ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)でイノベーション経済学と公共的価値について教鞭をとる。Mazzucato教授は、現在の大きな問題を克服するために「大きな政府」を要求する。世界経済フォーラム(ダボス会議)で講演したり、英国や米国を始めとする各国政府に助言している。米バイデン政権の経済大臣の候補者リストにも挙がった。9月に総選挙を控えるドイツでもここ最近、同教授のテーゼが注目を集めている。

  • 気候変動や(パンデミックによって再び拡大した)社会的格差など、我々の時代の差し迫った問題を克服するためには、「アポロ計画」のような国主導の産業経済の尽力が必要。アポロ計画を遂行するためには、数百もの複雑な問題を解決しなければならなかった。その全てが政府と産業の緊密な連携によって生まれた。政府主導の産業政策のミッションの例として、「モビリティー」、「世界の海の浄化」、「気候変動との闘い」、「経済・社会的格差」、「新エネルギーへの移行」を挙げる。

国がなかったら、現在iPhoneもない。Steve Jobsは良い仕事をし、iPhoneを組み立てた。だが、iPhoneは国の助成によって発明された

Nancy Pelosi米国下院議長(民主党)

  • 決定的な瞬間に国・政府が大きなリスクを負う(‘whatever it takes’)ことで、経済的・技術的な進歩が可能になる。イノベーションや経済成長における民間企業の役割は過大評価されている。本当に画期的なイノベーションは国が尽力したから実現した。インターネット、GPS、音声認識など革新的イノベーションが世界を変えることができたのは、国が早期に基礎研究を助成してイニシアティブを取り、リスクテイク(リスク引受)したからだ。例えばインターネットは1950年代に米軍の研究プログラムの枠組みで生じた。現在、シリコンバレーがもたらす多くの技術的驚異には、国が多額を出して助成した基礎研究や国のリスクを背負う姿勢が入っている。例えば、スマートフォンを成功された全てのコンポーネント(インターネット、移動体通信、GPS、マイクロチップ、音声認識、タッチスクリーン)の研究では国が主導して、資金も出した。
  • 国が一切干渉しなければ、経済的なイノベーションは最大になるというのは誤解である。国・政府は民間企業よりもっと長期的視点から、もっと大きなリスクを背負って行動する。過小評価されたり不当に批判されたりするが、国・政府は経済発展の先駆者的存在である。企業家ではなく、国が大きなイノベーションを引き起こす。イーロン・マスクでさえ、50億ドル規模の国の支援を得た。
  • 国と産業の関係は損なわれている。国が(基礎研究に)多大な先行投資をしたにも関わらず、企業は長い間、利益を独占し続けた。投資して成長と繁栄を可能にする、社会保障制度を軽減する、気候変動をストップする、危険にさらされた業界の雇用を助けるなど、もはや市場ができないことを国が正すもっと良い経済になるよう、できるだけ多くの人に利益をもたらすよう、国・政府は経済成長の方向性を操作しなくてはならない。「企業家的国家」としての新たな産業政策が必要だ。

“10年前に経済学者がそのような主張をすれば、学術界の太陽系の一番外側に追いやられただろうが、現在、Mazzucato教授は最も熱い中心部にいる”

ドイツの経済紙Handelsblatt

「大きな政府」のコンセプトはZeitgeist(時代精神)に合致する。Mazzucato教授は現在、大きな賛同を得ており、多くの政治家から助言を求められている。バイデン政権の経済大臣の候補者リストに挙がっただけではなく、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(民主党)、ビル・ゲイツ、ローマ法王など幅広い層に助言している。

“ドイツの国家は経済学者Mariana Mazzucatoの意味する「企業家的国家」になり、未来の投資家、イノベーションの後援者にならなくてはいけない”

ドイツ経済省のM. Machnig元次官(SPD)

同教授のアイデアはドイツでも共感を呼んでおり、例えば社会民主党(SPD)は選挙綱領に取り入れた。

タブーだった「産業政策」がZeitgeist(時代精神)に

一昔前では誰かが産業政策を奨励すると、気まずく思われていた。それが現在では、産業政策は当然のこととみなされる”

米バイデン政権のJ. Sullivan国家安全保障問題担当大統領補佐官

ドイツでも産業政策とは‘微妙’な関係にあった。長い間、産業政策をやっていながらも、それについて公に話すことはせず、一種の禁句であった。風向きが変わったきっかけは、テクノロジー分野における中国の攻勢である。李克強首相は2015年より「Made in China 2025」の名で産業政策を推進し、国の強力な支援で技術分野における世界リーダーを目指している。その一環で2016年、美的集団はドイツの有力ロボットメーカーKUKAを買収。ドイツが推進する「インダストリー4.0」の鍵となるロボットメーカーが中国企業に乗っ取られたことで、ドイツ政府とEUは目を覚まされた。

米中の貿易・テクノロジー摩擦が深刻化する中、ビックデータ・AIなどデジタル分野で置いていかれ、二大大国の間で粉々にされないよう、欧州のテクノロジー主権の必要性を痛感させられている。Altmaier経済大臣は2019年より、「国家産業戦略2030」という名をつけ公然と産業政策をやっており、国が支援して「欧州のチャンピオン企業」をつくる意向でいる。

さらに、コロナ危機が欧米の経済政策における「大きな政府」をもたらした。「もっと大きな政府」が学術界だけではなく、政府や中央銀行の間でも経済政策のメインストリームとなった。

  • 米国ではバイデン政権が2兆ドル規模の景気パケットを発表。ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」以降、最大級の国家投資プログラムとなる。
  • EUでは景気パケットとして7,500憶ユーロの復興基金を立ち上げ、未来産業の育成と操縦を可能にする産業政策を進める。

ドイツでは自由民主党(FDP)以外の主要政党が2021年9月の連邦議会選挙(総選挙)に向けて、それぞれ「大きな政府」を選挙綱領に入れている。

  • ドイツキリスト教民主同盟(CDU): 「Deutschlandfonds(ドイツ基金)」
  • ドイツ社会民主党(SPD): 「Zukunftsprogramm(未来プログラム)」
  • 緑の党: 「Industriepakt(産業協定)」

欧州中央銀行(ECB)でさえ、この「大きな政府」のコストを国債の買い入れによって貨幣化することに積極的である。

金融危機の際とは異なり、国はもはや緊急時の助っ人としての役割に甘んぜず、政府・官庁が長期に渡って経済パワーになる意向が垣間見える。数十年置きに起こる時代の転換、「国」と「市場」の力関係の根本的なシフトの兆候とされる。

大きな政府の支持者は気候変動など我々の時代の大きな課題を克服するためには、市民や企業の然るべき方向性を定める必要があるとする。国の助成によって何台の電気自動車が道路を走るべきか、水素が未来の中心的資源になるべきか、(半導体など他国への依存度を緩和するために)どの製品を国内で生産すべきかなどを、国が企業家のように定めるべきとしている。

ドイツの経済学者らは「大きな政府」に懐疑的

ドイツではMazzucato教授のアプローチに懐疑的な経済学者が多い(この中には、ドイツ政府の諮問機関である「経済の五賢人」のMonika Schnitzer教授やVeronika Grimm教授、ドイツ政府の独占(競争政策)委員会長を務めたJustus Haucap教授、キール大学世界経済研究所長だったGabriel Felbermayr教授なども含まれる)。ドイツの有力経済紙Handelsblattも大きな政府に批判的な論調である。Altmaier経済大臣(CDU)の「国家産業戦略 2030」はまさにMazzucato教授のアプローチに沿うが、同党の政治家の多くは「国の支援で欧州のチャンピオン企業をつくる」という大臣の提案にゾッとしているという。

【主な批判】

  • 国が音頭を取って、グーグル、フェイスブック、アマゾンなどの企業が出現したわけではない。今のご時世、どの企業もどこかで国の助成金を得ているが、だからといって国がイノベーションを引き起こしたわけではない(Haucap教授)。国が助成した研究がiPhoneに使われた。それは正しい。しかし、それだけでiPhoneが生まれたわけではない。様々なコンポーネントから製品(iPhone)を開発したアップルのような企業が必要だった。市場で成功する製品を開発するのは国の強みではない。国は優れた企業家ではない(Schnitzer教授)
  • 国で働いている(公務員の)人々は、ベンチャーキャピタリストになろうと思った人たちではない(Haucap教授)。国は悪いアイデアに長く固執し過ぎる。企業とは異なり倒産することがないからだ。コストを気にするプレッシャーがあまりなく、雇用を守るプレッシャーのほうが大きい。何よりも競争の要素に欠ける。だから、計画経済では人々のニーズを考慮せず製品を生産した(Schnitzer教授)

実際、コロナ危機でも国の弱点が明らかになった。公務員はマスク義務化の法的確実性のある規則を制定するのは得意だが、緊急の課題を時間的プレッシャーの中で、イノベーティブに解決することは強みではない。

  • 国営企業や国が資本参加している企業の歴史には、エアバスを除くとサクセスストーリーはない国は枠組みづくりと研究の助成に集中すべき。パンデミックでも国が企業家として成功する例を示せなかった。上手く機能するCOVID-19アプリはできず、デジタルワクチン証明書でもまごついた。スタートアップ企業にチャンスを与えたなら、最高の成果を出しただろう(Schnitzer教授)。減価償却や損失の繰り越しを改善する、基礎研究にもっと助成金を出すなど、国はイノベーションと研究の助成強化に限定すべき(Haucap教授)
  • 企業にとって、基礎研究への投資は直接的に収益化できないためインセンティブが小さ過ぎる。それ故、基礎研究は国が助成すべきで、研究成果は全ての人が利用できるようにすべきだ。逆に企業は応用研究で製品を開発して、収益を出す大きなインセンティブがある(Schnitzer教授)
  • アポロ計画のようなミッション型アプローチは遅れを取り戻す際に上手くいった。例えば、日本や韓国は自動車産業を推進した。気候変動のような大きな課題でもミッション型アプローチは産官学の総力を結集するために意味がある。しかし、国が何か新しいものを開発しよう、どの企業がどの役割を担うべきか決めようとすると、ややこしくなる。国がミッションを定義することには一切、異存がない。しかし、国が自らミッションを果たさなくてはならないと思うのは歴史の誤った解釈だ。必要なのはもっと大きな政府ではなく、もっと多くのビジョンを持った企業家だ。(Schnitzer教授)

国・政府が気候政策における具体的な技術ロードマップ(電気自動車、水素などに関して)を定めることにも、多くの経済学者は懐疑的である。

  • 国が先見の明を持った善意ある計画者で、未来の発展を正確に把握しているという考えは誤りだ。20~30年後の未来のテクノロジーが何であるか、誰にも分からない(Felbermayr教授)。国が(電気自動車、水素などに関して)移行の技術ロードマップを定めてしまうと、気候保護の速度や創造性に逆にブレーキをかけることになる(Grimm教授)

さらに、Handelsblatt紙は下記の点を指摘する。

  • 国が中央集権的に操縦すればするほど、ロビイストが自分たちにとって都合よく解釈した‘真実’を国に分からせようとロビー活動を強化する。しかし、ロビー活動の大きな声を出せるのは現在、事業を行っている企業で、未来の起業家ではない

ドイツの「オルド自由主義」 vs. 中国の「国家資本主義」

Handelsblatt紙は、「産業と国の連携は役割分担が明確なときに実りが多かった」と指摘する。

国がルールをつくる。独占やカルテル行為を阻止して公平な競争を確かにする。教育、法の確実性、インフラ、基礎研究など、全ての市民に公共財を提供する。全ての人々が成長の恩恵を得られるよう、税金や社会保障費を通して再分配される経済生産の割合を定める。全ての企業が各々の製品や生産プロセスの‘本当’の環境負荷コストを払わなくてはならないようにする。

元来の経済活動は企業やその従業員に任せる国が自らを‘毅然とした審判員’や‘規則の制定者’と自覚し、企業同士が競い合う場でプレイヤーのまね事をしないとき、最も力を発揮する。これは既に初期のオルド自由主義者の信条で、オルド自由主義に基づいて社会的市場経済がつくられた。ドイツ連邦共和国の創設期以来、社会的市場経済は非公式のドイツの‘経済憲法’を成す。2007年にEU加盟国の間で締結されたリスボン条約以降、社会的市場経済はEUの公式な経済学説でもある。

例えば気候保護に関して、国はCO2削減のための具体的な目標を定め、その目標の順守を確かにする。いかなるロビー活動をされても、国はこの目標からブレないこれが、オルド自由主義が意味する本当に強い政府である。国はこの役割(ルール制定者、審判員)でこそ、大きな投資家になるよりももっと効果的だ。国が自ら企業家になることは意味しない。

欧米では、「市場経済はイノベーション創出において計画経済に勝る」という定説が中国によって覆されることを恐れている。

市場競争は数百年間に渡り、イノベーション開発を促進する最良のメカニズムだった。それが今後もそうであるかどうか、中国によって試されている

しかし、よりによって世界市場で最も成功した(槍玉にあがっている)中国のテクノロジー企業、ファーウェイ(華為技術)は長い間、中国政府の産業政策の蚊帳の外に置かれていた

【補説】華為技術がグローバルプレイヤーになれた理由

通信設備分野における華為技術(Huawei)と中興通訊(ZTE)の成功の主因は、低価格とともに顧客ニーズ・要望を反映した製品イノベーション重視のためといわれる。

1980~90年代前半、華為技術や中興通訊のような国内の新しい通信設備メーカーは中国政府の産業政策によって不利な扱いを受けていた。大きな国有企業や中外合弁企業は外国企業との技術移転契約によって先端技術にアクセスできた。しかし、華為技術や中興通訊のような企業は当時、技術移転システムの蚊帳の外に置かれていた。

そこで、両社は自社で研究開発能力を構築する方針を打ち出した。当時は新参企業で技術や資金が十分になかったため、技術志向のイノベーション(technology-driven innovation)は難しく、必然的に顧客志向のイノベーション(customer-driven innivation)を重視する戦略を取った。

欧米の通信設備メーカーが技術志向のイノベーションを偏重し、過剰性能(over-engineering、利用者が求めるよりも更に高く持っている性能)に傾く中、低価格を保った顧客志向のイノベーションは発展途上国だけではなく先進国でも成功した。顧客(電気通信事業者)との共同イノベーションセンターを多数立ち上げ、顧客のニーズや要望を直接、研究開発プロセスに反映した。

華為技術と中興通訊は、(技術獲得のために外国企業を買収したり、外国企業から技術移転を受けたりせず)自社内で研究開発能力を構築したことが長期的な成長戦略となった良い例である。

出所
https://www.handelsblatt.com/politik/deutschland/comeback-der-industriepolitik-die-zeitenwende-wie-sich-das-verhaeltnis-zwischen-staat-und-markt-grundsaetzlich-verschiebt/27208698.html
https://www.handelsblatt.com/arts_und_style/literatur/buchrezension-braucht-es-einen-starken-staat-um-die-probleme-unserer-zeit-zu-loesen/27036580.html
https://www.handelsblatt.com/politik/deutschland/innovationspolitik-wirtschaftsweise-monika-schnitzer-der-staat-ist-kein-guter-unternehmer/27208702.html
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2934191
など